木代理カムバック(1)

 目が覚めると、私は木の根っこのくぼみにいた。
 どうしてこんなところで寝ていたんだろう。自分でも不思議だった。
 体を起こすと全身の節々が痛い。それに地面に接していた左の半身が雑草と土まみれだった。
 右手で掃うと手のひらが汚れてしまったので、私は途方に暮れた。
 ここは一体どこなんだろう。
 辺りを見渡しても、たくさんの木に囲まれているばかりで、ここが森の中だとわかるだけだった。
 ぐーっとお腹が鳴る。
 こんな状況でもお腹は空くんだ。
 最後にご飯を食べたのはいつだっけ。それすらも思い出せない。
 私は空腹で動けなくなる前に立ち上がることにした。
 少し進むと、小さな祠があった。
 古いけれど手入れはされているようで、ラッピングされたお菓子とコップに入った透明で綺麗なお水がお供えしてあった。
 お水の方はちょっと怖いけれど、お菓子は大丈夫そうだし、いただいてしまおう。
 一応匂いも嗅ぐけれど、問題なさそう。美味しそうなおまんじゅうだ。
「いただきます」
 誰が聞いているわけでもないけれど、そう言っておまんじゅうを口に運ぶ。
 歯で噛みしめると甘美な甘みが口の中に広がった。
 美味しい。
 もう一度噛む。うま味が分裂して口の中に広がっていった。
 お腹が空いている中の食事って、どうしてこんなに美味しいのだろう。
 もぐもぐと咀嚼をするたび、すぐに飲み込みたい気持ちとまだ噛みしめたい気持ちがせめぎ合う。
 どうしようか迷っているとき、ガサガサという草をかき分ける音が聞こえた。
「あ」
 私のものじゃない声が、草陰からした。
 私はごくんとおまんじゅうを飲み干す。
 そこにいたのはサーカスのショーにでも出るような個性的な服装をした女の子だった。
「木代理だ」
 女の子は私から目を離さずに言った。
「木代理、って?」
「あなたの名前」
 聞いたことのない言葉を自分の名前だと言われて、私は反論しようとする。
 でも、私はそれ以外の自分の名前が頭に浮かばなくて、口を開けなかった。
 もしかして、木代理というのは本当に私の名前なのかもしれない。
「どうしてあなたが私の名前を知っているの?」
「この村では有名人だから」
「この村?」
「斎灯森村。あなたが昔救ったっていう村の名前よ」
 私はいまいちピンとこなかった。昔っていうのはいつの話なんだろう。
 私は自分の身体を見回すけれど、まだ現役のティーンエイジャーだった。
 手で触った自分の頬もみずみずしくて張りがある。
 目の前の女の子にも若さでは負けないくらいだった。
「あなたが木代理なら、どこから来たの」
 女の子が私に尋ねる。だけど、考えてもその答えは浮かばない。私は首を横に振った。
 女の子はつまらなさそうに「ふぅん」と答えた。
「それじゃあ、バイバイ」
「ちょ、ちょっと待って」
 背を向けて帰ろうとする女の子を慌てて呼び止めた。
「もうちょーっと、詳しい事情とか? 聞いてくれてもいいんじゃないかなぁ?」
 と、厚かましくも私は媚びてみる。
 女の子は少しだけ振り返る。
「でも、他に何も知らないんでしょ」
「それはそうなんだけれど……」
 私は苦笑いに捉えられないように、口角をあげて笑顔を取り繕った。
「はる、その顔嫌いよ」
 女の子はそっぽを向いた。
「はる? あなたの名前は、はるっていうの?」
「内緒」
 女の子は私から遠ざかるように歩き出した。
 折角出会えた第一村人だ。こんな森の中で置き去りにされたら私はどうしようもない。
 私は女の子の後をつけて、草の中をかき分けていった。

 草むらをかき分けた先に出てきたのは小さな広場だった。
 今まで何も言わずに前進していた女の子は、くるりと回って私の方を向いた。
「案内しようか?」
「案内って、どこに?」
「あなたのお家」
 自分の家がどんな家だったか思い出そうとしても、やっぱり私の記憶は戻らない。
 どうして私が知らないことをこの女の子が知っているのだろう。
「ねえ、あなたと私ってお友達だったとか?」
「ううん。あなたは知らない人よ」
「知らない人のことなのに、どうして名前とか住んでいる場所とか、詳しいの?」
「だって、あなたは木代理だから」
 言っていることが分からないけれど、私はその言葉を鵜呑みにするしかなった。
 私が言葉に困っていると、女の子は小首をかしげた。
「はるの案内はいらない?」
「いえ、ぜひお願いします!」
「そ」
 また女の子は先導していく。私もついていく。
 通る道の脇は畑が多く、ここが農業が盛んな場所であることがよくわかった。
 そして、瓦屋根の日本家屋の建築が多い。年季が入っているようだけれど、人が住むには十分だった。
「ここが、あなたの家」
 そう最後に案内されたのは、今まで通ってきた道の中で一番大きな日本家屋だった。
 門を抜けると広々とした庭があり、家というよりもお屋敷と呼ぶのが適切だった。
 丁寧に敷かれた石畳の上を渡り、女の子は擦りガラスの扉の横に備え付けられたインターホンを鳴らす。
「かなめ、いる? 木代理を連れてきたわ」
 それから間もなく、玄関の引き戸が遠慮がちに開けられた。
「木代理さまって、本当ですか」
 か細い声で現れた女の子は、私を連れてきた女の子に尋ねた後、私をちらりと見た。
「木代理さま、なのですか?」
 女の子の声が震えていた。
「ご神木の下にいたわ」
「その言葉だけでは判断できないのですが、遥生さんが言うならそうなんでしょうね……」
 そう言って、女の子は私の元まで歩いてきた。
「かなめ、と申します。よろしければ、上がっていただいて十六夜とお話を」
 女の子は恭しく礼をした後、私の泥だらけの左半身を気にした。
「着替えもご用意します」
「ありがとう、かなめちゃん」
 私がそう呼ぶと、かなめちゃんはピタッと固まった。
「恐れ多いです。では、こちらについてきてください」

 私が案内されたのは二十畳を超えるような大きな広間だった。
 かなめちゃんは「少々お待ちください」と抜けた後、すぐに皺なく畳まれた着物を持って現れた。
「こちらにお着替えを。着付けはできますか」
「それは大丈夫」
 記憶はないけれど、なぜだか着付けは大丈夫だという自信があった。
「では、今しばらくお待ちくださいませ」
 そういうとかなめちゃんは下がっていた。
 私は早速渡された着物に着替える。泥がしみ込んで少し汚れてしまった肌着はどうしようかと考えていたけれど、着物のほかに、襦袢も用意されていたため、私は気持ちよく着替えることができた。
 広間の隅にあった姿見で自分の姿を確認する。若草色のシンプルな色合いが綺麗だった。
 私は広間の中心に置かれた大きなテーブルを囲む座椅子の一つに腰かけた。
 余分なものは無いけれど、掛け軸とか壺とか花とかの調度品が適切な所に飾られている。
「失礼します、入ってもよろしいでしょうか」
 かなめちゃんの声がしたので、私は「はーい」と返事をした。
 戸が三度に分けられて、少しずつ開いていく。
 先に入ってきたのはかなめちゃんで、後に続いたのは貫禄のあるおばあちゃんだった。
 おばあちゃんは私を値定めするように頭から膝元までじろりと見まわした。
「あなたが木代理さまだという根拠は」
 おばあちゃんは口元だけを早口に動かした。
「ないです」
 そう答えると、おばあちゃんは閉口した。
「私、記憶がないみたいです。案内してくれた女の子が、私のことを木代理だって」
「まあ、質の悪い冗談ですこと」
「で、でも、おばあさま。ご神木の下にいらっしゃったとのことですよ」
「口答えはおよしなさい。この方にお帰りになってもらいなさい」
 ピシャリと言われ、かなめちゃんは身を固くした。
 そして、私にそっと目配せをする。
「私、帰る場所がわからないんです。ここを追い出されたら、どこに行ったらいいかも分かりません」
「この村には民宿がありますので、村にいるならそちらにお泊りなさってください」
「私、お金もないんですよ……」
 つくづく私は身元不明の不審者だと実感する。
 おばあちゃんは呆れた顔で私を見た。
「いいでしょう、そこまで言うならしかありません。三日間だけ余地をあげます。
 それまでに自分の居場所にお帰りになることね」
 そういうとおばあちゃんは、引き戸を引いて広間から出て行った。
「……すみません、ええと、木代理さま。先代の木代理さまがいなくなってしまったばかりで、おばあさまも神経質におなりなのです」
「先代? 他に木代理って子がいたの?」
「ええ。木代理、というのはこの村の神様のお名前なのです」
「え、じゃあ、かなめちゃんは、私が神様だって思っているってこと?」
「私にもにわかには信じがたいのですが、そうなります」
 神様。記憶のない私にも、それが信仰の対象となる人知を超えた存在であることは分かる。
 でも私は生身の人間だ。そんな私が神様だなんて。
「神様って何をしたらいいの?」
「それは……この村の安寧を見届けていただくことがお勤めになります」
「えー、難しい。具体的には何をしたらいいの?」
 かなめちゃんはぽつぽつと話す。
「村の危機を救ってくださった方のようですから、村の一大事に対処していただく形になるかと……」
「この村、なにか大変なことがあるの?」
「……木代理さまがいなくなってしまったことでしょうか」
「私が木代理なんでしょ。なら、解決じゃあない?」
「……でも、村に受け入れいていただけるかは別です」
 かなめちゃんが苦い顔で微笑んだ。
「どうすれば、受け入れてもらえるの?」
「おばあさまの承諾か、神降ろしの儀式を行っていただくか、でしょうか」
「おばあちゃんは認めてくれそうにないから、その、儀式っていうものをやったらいいんじゃない」
「三日の期限で行うのは難しいかと……」
「なんで?」
「木代理さまの振付が大変なんです。それに人手が」
 聞けば、神降ろしの儀式は半日がかりで行われる神楽舞だそうだ。
 雛、巫女、獅子、狛犬、鬼。この五つの役柄にも協力してもらわないといけないけれど、鬼という役は祭りの時以外は村にいない人が務めているものであって、平時に来てもらうことはできないそうだった。
「じゃあ、詰みじゃない?」
 振付はともかく、役が足りないのなら儀式は行えない。
 そうなると私は木代理として認められない。無一文で記憶喪失の謎の不審者として取り扱われるわけだ。
「私、自分が神様かはわからないけれど、せっかく手に入りそうな居場所が無くなるのは嫌だな」
 もしこの村から放り出されたら、私は一人で生きて行けるだろうか。
 記憶があった時の居場所が居心地の良い場所だったのかも今の私にはわからない。
 それに、もしこの村で目覚めたことが、私の居場所を獲得するためのチャンスだとしたら掴まないわけにはいかない。
「私、自分の居場所がほしい。神降ろしの儀式、やってみたいから、かなめちゃん、手伝って」
「もちろんです」
 かなめちゃんに握手を求めると、かなめちゃんは快く私の手を取ってくれた。