お昼になった。
私にはあと一日と半分しかなかった。
かなめちゃんは雛なしで神降ろしができる方法がないか、屋敷に戻って調べてくれている最中だった。
その間に私はかなめちゃんがビデオに残してくれた映像を見ながら舞の練習をしていた。
「かーっ、うまくいかない」
私は扇子を放り投げ、地面に足を投げ出した。
会館の体育館に私の叫びが大きく響く。
「お、やってるな。木代理さま」
「こんにちは、木代理さま」
入口の方を見ると、そこにいたのは、茉咲ちゃんとしずるちゃんだった。
しずるちゃんは茉咲ちゃんの腕を借りながら、二人して私のところまでやってきた。
「二人は練習いらないの?」
「あたしらはお祭りでやったばっかだから平気」
「木代理さまが心配で様子を見に来たんです」
「そりゃありがと、全然ダメ」
私は全身を大きく投げ出して、スノーエンジェルを作るみたいに腕をバタバタした。
「ねえ、私が木代理さまって認めてもらえなかったら、どうしたらいいと思う?」
「できれば、そうさせないようにします」
「諦めなきゃなんとかなるだろ」
二人は口々に言う。私はおもむろに起き上がって、茉咲ちゃんとしずるちゃんを交互に見た。
「そうだ。恋バナをしよう」
「「ええっ!?」」
二人の言葉がシンクロした。信じられないという顔で私を見ている。
焦った茉咲ちゃんとは対照的にしずるちゃんは冷静に私に質問した。
「どうして恋バナなんでしょうか」
「だって、私、婚約者である雛を選ばなきゃいけないんでしょ。恋ってどういうものか知りたいし」
茉咲ちゃんとしずるちゃんは顔を見合わせた。
「恋ねぇ……」
茉咲ちゃんは遠い目をした。目線の先には掛け時計があるが、茉咲ちゃんがそれを見ているかは微妙だった。
「木代理さま。申し訳ないけれど、色恋は私にはさっぱりなんだ」
「あたしは……まあ、初恋は済んだかな」
「えー、なにそれ、きーきーたーいー!」
「もう過ぎた話なんだよ。やめてくれよ!」
茉咲ちゃんが片手をばたつかせて、しっしと私を追いやろうとする。
そんな風に戯れていると、「木代理さま!」と窘める声が上がった。
かなめちゃんだった。
「ちゃんと練習しないと儀式ができませんよ」
「はーい」
私は素直に返事をした。茉咲ちゃんがかなめちゃんに「悪い」と、両手を合わせた。
「かなめちゃんとは、恋バナしたもんね」
私が口をとがらせると、「木代理さま!」とかなめちゃんは繰り返した。
お昼を取るために屋敷に帰るまでの道で、かなめちゃんは真剣な表情で話を切り出した。
「村の年代記や祭りの記録を見たところ、残念ながら、雛なしで儀式を執り行った前例は見当たりませんでした。それどころか、木代理さまが現れた記述もありませんでした。私たちは先代の”木代理さま”に会っていたというのに、”木代理さま”が村に現れた例が他にないんです」
「それじゃあ、いつもはどうしていたの?」
「お祭りのときに限って、木代理さまの役を演じる人を立てていました。雛の役も、お祭り限りで」
「じゃあ、”木代理さま”がいること自体が、村にとっての異変?」
「そうなりますね……」
「それじゃあ私は何者なの?」
私は茉咲ちゃんやしずるちゃんや遥生ちゃんが言うように、自分が木代理だと信じていた。
でも、その木代理っていうのは、記録が正しければ架空の人物だったということになる。
「どうして先代の木代理は受け入れられたの?」
「それは……ご神木の下から見つかった方だからです。木代理さまが降臨するときは、ご神木から現れるとの伝承があります」
「私と同じだ。でも、私はおばあちゃんに拒絶された。おかしくない?」
「それは、」
と、かなめちゃんは口ごもる。
「おばあさまには何かお考えがあるのでしょう」
「わからない。前の木代理さまと私の違いって何なんだろう」
「――十六夜ではなく、遥生さんが見つけたから? 先代の木代理さまはおばあさまがお見つけになりました」
「じゃあ、自分の目で見ていないから信じられないってこと?」
「そう、かも、しれません」
かなめちゃんは奥歯にものが引っ掛かった言い方をする。
言いながらも、何かが違うと予感しているようだった。
「ですが、茉咲さんもしずるさんも遥生さんも、あなたを木代理さまだと信じていらっしゃる。前の木代理さまの場合は……どうだったのでしょう」
「もし、私と違って、前の木代理さまが木代理さまだと確信されていなかったら。その木代理さまって、偽物だってことだよね」
かなめちゃんは目を見開く。
私は慌てて取り繕った。
「あ、偽物っていうか木代理さまっていう役割を演じる人ね」
「そんなことって、あるのでしょうか……」
かなめちゃんは俯いて考え込んだ。
「もし、そうなら、残酷ですね。……木代理さまは、ただのひとりの女の子だった」
かなめちゃんがぴたりと立ち止まる。お屋敷の門の前だ。
これ以上の話はここではできないと判断したのだろう。
かなめちゃんは口を噤み、私を居間へと案内してくれた。
室内にはやっぱり先に梓央莉が膳の前に座っていた。
「雛は見つかったか」
開口一番、梓央莉は私の問題に関心を投げかけた。
「いいや、まだ。雛野家も非協力的だしさ」
「雛は雛野の名誉だ。当日になれば誰かしら顔を出して、お前に選ばれようとするはずだ」
「そこからテキトーに選べば、役割の問題は解決ってわけね」
私は皮肉めいた表現で自分の境遇を指したのだけれど、梓央莉はその言葉を文面通り取ったようだった。
「お前は、別に運命の相手とか考えてないのか」
「運命の相手? なんだかあなたの柄じゃない言葉だね」
「木代理が。前の木代理が、おそらく運命の相手を選んだんだ」
そうして、小鉢に入っていたセロリを箸で取って、口に運んだ。
「梓央莉はどうやって雛に選ばれたの?」
「十六夜と氷室が、勝手に取り決めた。俺も木代理も不満が無かったから受け入れた」
「なんだ。梓央莉も運命の相手を選んだわけじゃないんだ」
「人に選ばれた選択肢も運命だというなら運命の相手だったともいえるし、こうして別れてしまったのだから運命の相手じゃなかったとも言える」
「どっちにしろ、もう終わったことだ」と梓央莉は口にした。
「ロマンチックを信じるならさ、相思相愛がいいよね」
私も両手を合わせてから、食事をとり始めた。
雛、巫女、獅子、狛犬、鬼。
梓央莉の言うとおりであれば、雛の問題は最低限解決するとして、すべての役割がそろった。
私とかなめちゃんは報告と確認のために、遥生ちゃんの元を訪ねた。
家にいなかったので少し遠回りになってしまったけれど、遥生ちゃんはしずるちゃんの家の縁側に座ってお茶とお菓子を楽しんでいた。
「鬼は梓央莉、雛は当日に雛野家の誰かから引っ張ってくることにしたよ」
「ふぅん。あなたは決めたのね」
「遥生ちゃん、巫女やってくれる?」
「いいよ」
遥生ちゃんは二つ返事をしてくれた。
「しずるちゃんも明日よろしくね」
「ええ。緊張するけれど無事にやり遂げます」
しずるちゃんも正座をしたまま深々と頭を下げた。
「それなら、お茶会する?」
「いや、舞の練習をしないといけないし」
「そうだよ、遥生。儀式が終わってからでもお茶はできるよ」
「ううん。はる、聞きたいの。雛野からどうやって雛を選ぶの?」
「それは……インスピレーションで?」
「きっとあなたは雛野を好きにならないよ」
「なんで、はるきちゃんが断言できるの?」
「インスピレーション」
遥生ちゃんは、ブイサインにした両手をこめかみにあててポーズを取る。
「どっちにしろ明日は来るから、はるにはどうでもいいけど」
遥生ちゃんは目の前の練り切りを爪楊枝で突いた。
「しずるちゃんはどう思う? 先代の木代理と私、どう違うかな?」
「あなたが木代理さまだというのはすぐに分かりました。先代の木代理さまの場合は、私たちの日常にすっと入り込んでくるように現れたので、違いが大きすぎて私には分かりません」
「そっか、ありがと。じゃあ、練習の続きをしなくちゃな。行こっか、かなめちゃん」
「はい」
そうして私たちは会館での舞の練習をするのだった。
当日が来た。
木代理はご神木の元から現れるという伝承に合わせて、私たちはご神木の前に衣装を着て待機していた。
いるのは、巫女の遥生ちゃん、獅子の茉咲ちゃん、狛犬のしずるちゃん、鬼の梓央莉。
空は薄暗く雲が張っている。
私たちの周りを、見物のために多くの村人たちが取り囲んでいた。
雛野の家で見た顔もいくつかあるので、雛も十分だ。
選びたくないのは重々だが、木代理の立場を得るためには仕方がない。
前の木代理がわがままだったけれど梓央莉に大切にされていたように、私も新しい雛を大切にできるかもしれない。
ご神木の反対側。私たちを正面から見る位置に十六夜のおばあちゃんが立っていた。
私が木代理としてやっていけるのか見定めるつもりだろう。
その隣でかなめちゃんが不安げに私のことを見ていた。
私は詰め込みで覚えた舞が成功するのか心配だったけれど、もうやるしかないと覚悟を決めた。
私は舞を踊るみんなの顔を一人ずつ見た後、深呼吸し、観客に向かって声を上げた。
「私の雛となってくれる者は出てきてほしい!」
だが、周りはシーンとして、誰一人動く気配がなかった。
十六夜のおばあちゃんの口がにやりと笑ったのが見えた。
雛野家の人々もお互いの顔をちらっと見るだけで、それ以上何をすることは無かった。
かなめちゃんが動揺したようにそわそわと動き出す。
「……っ、始めよう」
こうなったら、雛の不在のままやるしかない。
私たちは持ってきたCDプレイヤーで音源を再生した。
まず行われるのは遥生ちゃんによる巫女舞。
これは神様が村を訪れる前の村の乙女たちの様子を現わしているそうだ。
遥生ちゃんは片手で笠を上げながら屈んで、田植えをするように指先を上下した。
そして着物の裾をひらりひらりと靡かせた。
本来は大勢の巫女が集まって行われる踊りだけれど、今回は遥生ちゃんだけだ。
くるりくるりと回って、たおやかに舞う遥生ちゃん。
ゆったりとした音色で、演奏が止まった。
次に出てきたのは、鬼の梓央莉。
これは村に災厄が現れたことを表現しているそうだ。
太鼓の音に合わせて、梓央莉が力強く身体を振り回す。
飛び跳ね、地団駄を踏み、観客を威嚇するように大きく動き回る。
さすが男の子、パワーが段違いだった。
梓央莉の迫力に、観客たちから小さく歓声が上がる。
梓央莉はその声に見向きもしないで、全力で踊りを披露していた。
その次は、獅子の茉咲ちゃんと狛犬のしずるちゃんの剣舞。
これは、村の災厄に立ち向かう若者の戦いを再現しているものだそうだった。
横に旋回して長い剣を振り回したり、忍び足でくるくると回ったり、かと思えば構えた剣で周囲を切るように背中合わせで舞う二人。息はピッタリだった。
でも災厄には勝てない。二人は剣を地面に突き立てて、膝をついた。
これで、みんなの舞は終わった。次は私、木代理の舞だった。
私は始まる前に声を上げる。
「私の雛となってくれる者は出てきてほしい!」
何人かの雛野がそっと体を揺らした。しかし、おばあちゃんのひと睨みでみんな視線を逸らすように俯いた。
やっぱり誰も出てきてくれない。私はやるしかない。
音楽に合わせ、かなめちゃんに習った舞を踊る。
たどたどしいのは承知の上だ。今できるのは無事に舞い切って、十六夜のおばあちゃんに私を認めさせることだった。
くるりと回る。ひらりと扇子をはためかす。そろりと前に歩み出す。
一つ一つの挙動を思い出しながら丁寧に動きを付ける。
木代理の舞。村にやってきた神様が、村の現状を見て嘆くシーンだ。
ここまでの物語が紡げたら、木代理さまは村に現れたことになる。
私はなんとか必死でやり遂げた。
それに合わせてCD音源もぷつりと止まる。
観客の方からは拍手の音が聞こえてきた。
どうだ、やってやったぞ。十六夜のおばあちゃんを見ると、その目は未だに冷たいままだった。
次は木代理さまと雛の喜びの舞い踊り。
でも、雛は誰も出てきてくれない。
「――これ以上続けられないのであれば、儀式は失敗ですね」
おばあちゃんの声で、周りの空気が一斉に冷えた。
「この方を木代理さまと認めるわけにはいきません。梓央莉、後でお話を」
梓央莉がぐっと顎を引き、身を固めたのが分かった。
「茉咲、しずる。あなたたちは立場上止むを得ませんが、浅はかでしたね」
茉咲ちゃんとしずるちゃんの肩がびくりと震えた。
「遥生。今日という今日こそは、あなたの所業は黙っていられません。こちらにも考えがあります」
遥生ちゃんはいつもの調子で「ふぅん」と答えたが、その目は泳いでいた。
「そして、要菊。偽物の木代理さまを連れてきたこと、あなたはどう弁解するのかしら」
おばあちゃんがかなめちゃんの腕を強引に引っ張った。
かなめちゃんが痛そうに声を漏らして目をつむる。
その光景を見たとき、私の胸の底からマグマのような熱いものが込みあがってきた。
それは勢いをつけて、どす黒い声となって私の口から飛び出した。
「その子を離せ!!!」
カッと空が光ったかと思うと、ドンッという衝撃音が地面に轟いた。
空に浮かぶ雲が黒く変色していき、どんどん厚みを増していく。
ぽつぽつと肌が濡れたと感じるのも束の間、辺りは全ての音を掻き消すほどの大雨になった。
観客たちは頭を抱えながら、虫の子を散らすように逃げて行った。
梓央莉、茉咲ちゃん、しずるちゃん、遥生ちゃんはご神木の傍に身を寄せて雨を凌いでいた。
十六夜のおばあちゃんは雨で着物をべちゃべちゃに濡らしながらもかなめちゃんの手を放そうとしなかった。
「おばあさま!」
かなめちゃんが声をかけると、おばあちゃんはかなめちゃんを睨んだ。
そしてかなめちゃんの身体をその身に抱き寄せた。
「かなめ、お逃げなさい!」
おばあちゃんの腕の中で、意味が分からず呆然としているかなめちゃん。
私は今ならかなめちゃんを取り返せると思って手を伸ばす。
「かなめ、木代理さまから逃げるのです!!」
おばあちゃんがかなめちゃんを私の反対方向に突き飛ばす。
閃光と共に轟音がもう一撃が落ちてきた。雷だ。
「早く!!!」
おばあちゃんの声で、かなめちゃんが走り出す。私はその後を追いかけようとした。
しかし、おばあちゃんが私に抱きつき、通せんぼをする。
その身は骨ばっていて、私が無理やり押し倒せば簡単に何本かの骨を折ることができそうだった。
「おばあちゃん、止めて。私、かなめちゃんに会いに行きたいの」
「許しません。たとえあなたが木代理さまでも私は認めません」
私は深くため息を吐いた。そして、おばあちゃんに抱きしめられながら後ろを振り返る。
そこにはご神木の下で目を丸くするみんながいた。
「おばあちゃん。どういった理由か、お話してくれないかな」
「ならば、会館ですべてをお話ししましょう。……あなたたちみんなも来なさい」