「好きだよ、かなめちゃん」
木代理さまが、愛の言葉を囁きながら私の名前を呼びました。
本当に愛おしそうに目尻を下げて言葉を紡ぐものですから、私はいつも勘違いしそうになります。
私の両手はトランプを握りしめたままですので、耳を塞ぐことはできません。
だから、木代理さまの言葉から耳を逸らすことは叶わないのです。
「本当に、大好き」
木代理さまは私から取り上げたばかりのハートのエースを、自分の手札のクラブのエースとともに場に出しました。
木代理さまの手札は残り一枚です。
「ちぇっ、また木代理さまが一番乗りかよ」
「木代理さま、じゃなくて、きみちゃんって呼んでよ。茉咲ちゃん」
茉咲さんが木代理さまの持つ最後のカードを引き抜くと、木代理さまは両手の拳を握って真上に突きあげました。
「私、ババ抜き得意かも」
ジョーカーのカードは私の手札にあります。私の手札は残り三枚です。
またもや茉咲さんとの一騎打ちになりました。
木代理さまは四つん這いになったまま私の傍に寄ってきて、茉咲さんから見えないように隠していた手札を息のかかる距離からのぞき込んできます。
私は心臓の音が高鳴るのを木代理さまに聞かれないようにと願うばかりです。
「かなめちゃんが、ジョーカー持ってたんだねぇ」
木代理さまが笑みを零しました。
私が茉咲さんの手札を引いてカードを場に出すと、一枚対二枚の構図が出来上がります。
茉咲さんは私の手札のどちらを引こうか真剣に悩んでいます。
「かなめちゃん、がんばれー」
木代理さまの息が私の耳にかかります。
それはあまりにも私の芯へと響きすぎて、私は熱を持つ頬を悟られないようにと、つい俯いてしまいました。
「おい、かなめー。手札見えてるぞ」
私は茉咲さんの指摘を受け、手札を伏せてシャッフルしました。
しかし、その努力もむなしく、私の手元にはジョーカーだけが残ったのでした。
「ねえ、かなめちゃん、茉咲ちゃん。いつになったら少女漫画を読ませてくれるの?」
木代理さまに言われ、私と茉咲さんは苦笑いをしながら目を合わせました。
私と茉咲さんは少女漫画が大好きで、別々の漫画誌を毎月購入し、お互い交換し合っています。
なので、読むものはたくさんあるにはあるのですが、私たちは木代理さまに、先代の木代理さまが残した絵本ばかりを渡していました。
「絵本も楽しいんだけれどさー。二人が好きなものを私も好きになりたいんだよぉ」
木代理さまは茉咲さんの肩を肩たたきでもするように叩きます。
茉咲さんはなされるがままに叩かれっぱなしです。
「まあ、そのうち、な」
一度だけ。本当に一度だけ。木代理さまに少女漫画誌をお見せしたことがありました。
まだ古本回収に出す前の少しだけ古い号を、読み終わったからというだけで差し出してしまいました。
私たちは忘れていたのです。少女漫画には甘い展開が付き物だということを。
そして私たちはそれを楽しみにして毎号読んでいるということを。
木代理さまは、漫画の読み方も知りませんでした。
右のページから左のページに。右のコマから左のコマへ、そして上から下に読むように。
何も知らないこどもに物を教えているようで微笑ましいとすら思っていたのに。
「ねえ、かなめちゃん、こっちにきて」
私は言われるまま木代理さまの隣に座りました。
「こっち向きじゃなくて、後ろを向いて」
言われるまま木代理さまに背を向けました。
すると、なんということでしょう。
私の背中を温かいものが包み、肩にはずっしりとした腕の重みが、そして木代理さまの頭が私の肩にしなだれかかるようにして、私の頬や髪にぶつかりました。
いわゆる、バックハグです。
「ねえ、こうするとドキドキするって書いてあるんだけど、本当?」
木代理さまが頭の位置を動かすと、私の頬に私とは違う髪質の直接的な感触が伝わります。
自分の物ではない熱が、私の身体中を支配しています。
恥ずかしさのあまり私が言葉を失ってしまっていたところ、木代理さまはまだ足りないと判断したようで、より強く私を抱きしめました。
「教えて、かなめちゃん。ドキドキする?」
木代理さまの唇が、私の耳に触れました。
鏡を見なくても、自分の全身が火照っているのが分かります。
ドキドキなんて、するに決まっています。
「木代理、さま」
ようやく絞り出した自分の声が、想像以上に弱弱しいものでそれすらも恥ずかしくなってしまいました。
私は自分の顔を両手で覆いました。人差し指の隙間から茉咲さんの絶句した顔が見えました。
そうです、茉咲さんは麦茶を取りに行ってくれているところでした。
「少女漫画、禁止だーーー!!!」
茉咲さんがそう叫んで以来、木代理さまには少女漫画の代わりに絵本をお渡しすることになりました。
「木代理さまに必要なのは、情操教育」
茉咲さんの金言です。
私たちは決して木代理さまにいじわるをしているわけではなく、自分たちの身を守るために少女漫画を禁止しているのです。
だってそうしないと、木代理さまは誰それ構わずバックハグをしてしまうのですから。
木代理さまがお世話になっている朝比奈さんご夫婦も木代理さまにバックハグをされたそうですが、おおらかなご夫婦は「こどもが甘えてくれているようで嬉しい」とのことでした。
それを聞いて茉咲さんは、木代理さまにバックハグ禁止令も出しました。
これ以上の実害が出る前に封じ込めようという作戦です。
木代理さまは不服そうでしたが、茉咲ちゃんとかなめちゃんが言うなら仕方ないね、と諦めてくださったようでした。
それでも少女漫画を読むことは諦めきれず、私たちに解禁を求めるのです。
ですが、私たちは決めたのです。いつか、木代理さまが雛を選ばれた際に、お祝いとして少女漫画を送ることを。
それまで私たちはこの無邪気な神様を見守ろうと決めたのでした。
ただ、そんな出来事があったせいで、時々、木代理さまの温かな感触を思い出しては、眠れなくなる日ができてしまいました。
その責任を取ってもらいたくても、あの方は口付けで勘弁してもらおうとするのでしょう。
もう本当に、しょうがない方なのです。
だから、きっと私は今晩も眠れないのです。