しずると遥生のはじめまして

「あ」

道行く途中で声を出した。
理由は別にない。返事がないのを確認しただけ。
なんにもない村の中では意味のない言葉の方が存在感を持つような気がした。
それでも黙ってしまうと何事もなかったように退屈な時間が流れていく。
言葉に意味なんてない。
あぜ道に影を落とす木々の茂る山からは
よくわかんない鳥の鳴き声が聞こえた。
この声だって村の一部に溶け込んでいるから、意味なんてない。

みんな、なぁんにも変わらない。

ひとつ変わっちゃうことといえば、村の人たちはこっちを見ると『こんにちは』の代わりに『さようなら』を言う。
それは言葉じゃなくって、態度で示す。
どんなにのんびりしていても慌てて動くからおかしい。
まるで道を開けてくれたみたいで、かえって心地がいい。
お供えされたばっかりのお菓子をつまみ食いしてもお母さんがするみたいに怒られない。
『召し上がれ』の代わりに『罰当たり』は言われるけれど、
村の神様である木代理が何にも言わないから別に問題はない。

要は言葉に意味はない。

最後にお話ししたのは、一週間前に帰ってきたお父さんと『バイバイ』と言いあったことかしら。

お母さんがいなくなってからは村の端っこの小さな小屋に住んでいた。
お父さんはお仕事に行くから、大抵ひとり。
前までは氷室の屋敷の一室でご飯も布団も勝手に出てくる生活だったけれど、ある日突然、部屋中の物を捨てられて、小さな鞄ひとつだけで外に追い出された。
なかなかエキセントリック。
お別れの言葉すらなかった。――ああ、『氷室の敷地を跨ぐな』はお別れの言葉にカウントされるかしら。
窮屈なマンションから窮屈な一軒家に引っ越したと思えば、勝ち組な気がしなくもない。
それも別に、どうでもいいんだけれど。
ご飯が出ないから食材の保存にはちょっと困った。でも、街の電気屋さんが何とかしてくれた。
冷蔵庫を買った出費が痛かったのか、お父さんは泣いていた。
そんなに大変なら好きなだけ仕事してきたらいいよって言ったら、お父さんは無言で村を出た。
つまりそういうこと。
本当のことなんて、別に知らなくていい。
お父さんが一週間前に帰ってきたのは、その次帰ってくるまでの食材を
冷蔵庫に入れるため。買い物は街まで行かなきゃいけないから。
腐るほどある村の特産の野菜はもったいぶって分けてもらえないけれど、今の時代、電子レンジでチンしたらなんでも食べれるから別にいい。

「あ」

消しゴムが落ちた。
スキップするみたいに跳ねて、映画のアクションみたいに駆け足で着地して転がった。
行く末を見守っていたら、斜め前の席の子の足先にコツンとぶつかったきり力果てた。
白羽の矢が立ったその子は机の下をのぞき込むと自分の周りを一通り見まわす。
それがこちらを見た瞬間、歯車が合ったように、ピッタリの積木が重なったように動かなくなった。
視線が合ったまま動けなくなるなんて、なんて素敵なシチュエーション。
元々話したことのない子なのに、何も言われないのが不自然かのように身体を固くして緊張していた。
1秒、2秒、3秒。
その子の足元が揺れると、消しゴムはまた元気になって転がって行った。
どんどん前に進んでいく消しゴムを追いかけて、ついでに思い立って、ファッションショーごっこをした。
消しゴムを追い抜かして教卓の前でくるりと回る。
会場の皆さんに向けてシャッターチャンスの隙を作る。
教室の隅から隅まで移動して、帰り際に消しゴムを拾う。
教科書を読む先生の声は息継ぎの間以外では止まらなかった。

自由か、自由じゃないかといわれると、普通かな。
学校中を歩いて村中を歩いても、誰ともなんにも起きないのは至って普通になったことだもの。
『興味がない』から『関わりがない』に変わっただけで、
ひとりで歩くのは自分の意思。
はる的には何にも変わんない。

でも、ただ歩くだけじゃつまんないから、
今日はちょっと嗜好を変えて、知らないお家を覗いてみることにした。
インターホンを鳴らさないで裏庭から入る。
風を通すために勝手口は開けっ放しだ。
こんな小さな村だとほとんどのお家は無防備だ。
誰か出てこないかなと眺めていたらぴしゃりと戸が閉まった。
今夜このお家は寝苦しい夜を過ごすのかしら。
向かいのお家も同じようにしてみたけれど、誰も出てこなかったから、たぶん、留守。知らない。

縁側のある可愛いお家を見つけた。
運よく人がいるみたい。
背中を向けているから何をしているかわからないけれど、畳の部屋でひとり、正座している。
気になったから近づいて、縁側のふちに手をついた。

「――誰?」

向けられていた背中はどこかへ行っちゃった。
こっちを向いているのは、澄ました女の子の顔。
交わす視線は教室の子みたいに情熱的じゃない気がした。
黙った間ははるのことを待っているみたいで、
催促するように女の子は言い直した。

「どなた?」

「はるだよ」

「はる?」

「はるき」

女の子の顔には見覚えがある。お母さんに連れられて観たお祭りの狛犬の面の子。
似合わないお面を被った素顔はどんな不満の色をしているかと思ったのに、外すと普通の女の子だった。
怖い顔のお面が本体だけど、なんでもないこの女の子の身体がないと動けないらしく、逆に女の子に支配されているみたい。
そんなものを崇めちゃうお祭りって、大したことないんだなって思った。

「上がっていい?」

完全に向きなおった女の子のことをよく見てみたかった。
日の向きが悪くて部屋の中は暗かったから。

「どうして」

「あなたが何をしているか気になったから」

「何もしていないよ」

「どうして」

「一息ついているところだったから」

「じゃあ、お茶しない?」

お父さんが若いころお母さんに言ったみたいに誘ってみると、
『いいよ』と女の子は笑った。

「しずるって言うの」

お茶請けと茶碗を手早く置いてお盆を引くと、女の子――しずるは頷いた。

「女の子の名前なの?」

「そうだよ。狛犬だから、できるだけ中性的な響きだけれど、女の子の名前」

「ふぅん」

お祭りに係る人たちは、みんな生まれたときに中性的か異性の名前が付けられる。
例外は、村の長の氷室と女系一族の十六夜くらいで、
木代理にとって雛野が一番の女になるためだとかと昔聞いた。
いるのかわかんない木代理のために名前を付けるなんてすごく滑稽だ。
それに、今いる木代理は女の人で、しずるは木代理よりも早く生まれているはずなのに。

「はるきは巫女なの?」

「ううん。でも、巫女頭の娘だった」

羊羹を口に運ぼうとしたしずるの手が止まる。
でもはるはお茶が飲めるから、時間が止まったわけじゃない。
お茶請けに戻すまでしずるは何も言わなかったけれど、
羊羹を持つ手を一旦置くと、心底すまなそうに目を伏せた。

「そうか、あなたが」

含んだ口ぶりは、初めて事の合致に気づいたようだった。
しずるの周りには遠目で指をさす人はいなかったのかしら。
それとも、お面を被るまでは、普通の女の子、とか。

「追い出す?」

その前に出された羊羹を全部口に入れる。
しずるは目を見開くと、逃げる村人とおんなじくらいの速さで首を横に振った。
咀嚼が追い付かないから聞き返すことはできなかった。何か言うつもりもなかった。
口いっぱいの羊羹を飲み込んで、庭の真ん中まで出る。
珍しい鳥が飛んでいた。

「しずる。見て、あれ。珍しい」

青い翼の小鳥が風に乗って、空に弧を描いている。
ひらけた畑ばっかりの村じゃ落ち着いて止まれるところがなかったのか、縁側から見える屋根の上に安心したように降り立った。
羽を振るわせて、大きく伸びをするみたい。黒いくちばしで空に突いた。
あんなにきれいな鳥がこの村にいたなんて驚き。
しずるは知っていたのかしら。

「私には見えないよ」

返事を期待していたわけじゃないのに、しずるが言った。
ちょっと悲しそうな目をしているのは、同情というよりも諦めたような自嘲があるからのような気がした。

「あ」

青い鳥は飛んでいった。
チルチルミチルに羽が生えて飛んでいく話は知らないから、あの鳥を追いかけることはきっと無意味なこと。でも、もういないから興味ない。

「ふぅん」

飛べないしずるに答えることにした。

「見えないのに、はるが見えるの?」

「見えるよ」

しずるは、はるから目を逸らさなかった。

「私は、目が悪いんだ」

澄ました顔はお面みたいな顔をしていた。
どうして、しずるは狛犬になりたいのかしら。

「でも、はるが見えるよ」

「……見えるよ。でも、私は白い杖を持っている」

「白い杖?」

「目が見えにくい人が持つものだよ」

「目が見えないと白い杖を持つの?」

「……」

「変なの」

不思議に思っただけなのに、しずるは傷ついたみたいな顔をする。純粋なのはどっちも変わらないから、澄まして振る舞おうとするしずるの方が、きっと悪い。
楽しくもないのに自分を笑おうとするのも、はるとお話しするもの、狛犬になろうとしているのも何もかもが変。
しずるは、お面を取ったら普通の女の子だもの。

「村のみんなが白い杖を持てばいいのに」

「……皮肉か?見えないのがそんなに変?」

悔しそうに眉間にしわを寄せる。なんでそんな顔をするのかはわかんない。だって。

「見えるのが変なんだよ」

はるが見た青い鳥なんてしずるの世界には初めからいないもの。
見えなくて当たり前のものに悲しむ理由なんてない。だけど。

「みんなはるのこと、見えないふりをするの。
でも、最初から杖を持っていたんだったら、はるのこと見えないのって確認しなくてもよかったね」

「あ」

その声は、しずるの声。
怖い顔のしずるはいなくて、ただ悲しくて落ち込むしずるだった。
狛犬と呼ばれるのが不思議なくらい、しずるはとっても弱かった。

「しずるって弱いの?」

「どうして」

「はるでも勝てそう」

「剣道は強いよ」

「人斬るの?」

「それはないけど……」

「ふぅん」

しずるが人を斬らないから、今日も村は退屈なのかもしれない。
でもはるだって人を斬れないから仕方がないかもしれない。
それよりも、明日何着て生きていくかが大切な気がした。

結局しずるとなにについて話をしたかは分かんないけれど、
お菓子もお茶も無くなったから、お茶会はお仕舞なんだろう。

「しずる、明日もまた来るね」

「ああ」

「お菓子は持ってきた方がいい?」

「貰い物のカステラがあるよ」

「じゃあ、それ食べよう」

しずるが手を振るからはるも手を振り返した。
あちら、塀の先がお帰りの出口です。

「あ」

忘れ物をしたような気がして立ち止まる。
なんとなくだけれど。
しずるに見えないものがはるには見えるけれど、
はるはしずると同じものが見たいなって思った。

「忘れてなかったら、杖を見せて」

それは、青い鳥を探させる話じゃなくって
おいしいお菓子を明日も一緒に食べたいなって話。

「きっと白い杖ごと、しずるを好きになる」

はるのたったひとりの友達のお話。