ずぶ濡れになりながら、私たちは会館にたどり着いた。
衣装が水を吸って気持ち悪い。地べたについてしまった長い裾は泥だらけだ。
私たちはできるだけ衣装を絞って水を捨て、茶色いスリッパを履いて会館の体育館へと集まった。
十六夜のおばあちゃんは体育館の真ん中の何もないところに正座し、私たちにもそうするよう指示した。
「村に伝わる伝承教えて差し上げましょう」
そう言うと、おばあちゃんは両手を膝元で丁寧に重ね、話し出した。
『長く続く雨により村が荒れ果てていたころ。
一柱の神様が雨をしのぐために村を訪れました。
村人たちは少ない食料で精一杯神様をもてなしました。
神様は大いに満足し、雨をしのいだ大樹と引き換えに、村の厄をすべて払うことを約束しました。
感謝した村人たちは、村一番の美しい女を『雛』として捧げ、身の世話をさせるために『巫女』を立て、役立てるために『狛犬』と『獅子』を置き、『神様』はすべての災いである『鬼』を打ち滅ぼしました。
ご神木は『氷室』により管理されており、
村人たちは『十六夜』の一族がまとめております。
不浄のものとして忌み嫌われていた『獅子』も神様のお情けにより村の守り人となったのです。』
「これが私たちの村に伝わる伝承です」
「はる、知ってるよ」
「私もです」
「俺も」
「あたしもだよ」
「私は、初めて聞いた……」
おばあちゃんは「それはそうでしょう」と私の方へと腰を曲げた。
「私たちの村に伝わるのは、神様が危機にあった村を助けたというお話です。……ですが、実際には村に訪れた神様は荒神様だったのです」
神様は肥沃な土地だった村から食べ物を奪い、それを食べつくしてしまうと怒りのあまり天を荒げ、村を痩せ細った土地にしてしまった。村で災厄をもたらす鬼として伝えられていたのは、実際には神様だったのだ。
「……木代理さまがご存じないのも無理はない」
私は話の急展開についていけないでいた。
良い神様だと思われている存在が、実際には悪い存在だった。
おばあちゃんの説明を要約するとそういうことになる。
でも、話の中には木代理さまは出てこない。
「おばあちゃん。木代理さまが話に出てこないのはどうして?」
「それは、『木代理さま』というのは和やかになった神様が、この世に現れるために乗り移った人間の姿を指しているからですよ。つまり、『木代理さま』自体は神様を指す言葉ではないですが、木代理さまは神様も同義なのです」
「じゃあ、私は神様であって神様ではない?」
「どうでしょう……私はあなた様の天を操る力を見てしまいましたから、その所業は神様のものだとお見受けしますよ」
体育館の天井を叩いて鳴りやまない雨。
この雨は私の力で招いてしまったものだというのか。
私は天井に両手を掲げて念じた。
「雨よ、止め!」
体育館を叩いていた雨がぴたりと止んだ。
代わりに地面を叩く、ぽつぽつとした雨音が鳴るようになった。
室内の窓から、日が差し込んでくる。
残された夏のセミの声まで響くようになった。
「前の木代理さまも、できたの?」
十六夜のおばあちゃんに尋ねるも、おばあちゃんは目を伏せるだけだった。
「できなかった」
代わりに答えたのは梓央莉だった。
「木代理は十六夜によって、仕立てられたものだったんだな」
その顔は相変わらず涼し気で、梓央莉が何を考えているのかは私には分からなかった。
「木代理さま。あなたが実際に現れるとは思いもよらなかったのです。この三日間の……いえ、十五年間の無礼をお許しください」
おばあちゃんが私に腕を伸ばして懇願した。けれど、私にはおばあちゃんの言う無礼が何なのかが分からなかった。
「許すも何も、私は楽しかったけれど。みんなに会えたし」
そう言って周りを見渡す。でも、そこには一人足りなかった。
「かなめちゃんは、どうしているかな」
おばあちゃんが声にならない悲鳴を上げた。
私はその表情につられてびっくりする。
「な、なに? おばあちゃん」
「かなめ、かなめまでは連れて行かないでください」
おばあちゃんが私の腕に縋りつく。
何のことかわからず、私は首をかしげる。
「木代理さまに与えられる雛は、雛野から選ばれるのです。雛野はそういう宿命を背負った一族です。ですが、かなめは十六夜です。十六夜は代々、最初の雛が植えた花を守る役割を得ています。かなめまでをも連れて行かないでください」
必死な形相のおばあちゃんに私はかける言葉もなかった。
ただ肩を揺らされるまま、おばあちゃんの言葉を聞いていた。
かなめちゃん。彼女はいまどうしているだろうか。
「おばあちゃん、大丈夫だよ。かなめちゃんのことは私も大好きだから、変なことはしないよ」
「木代理さま」
今まで黙っていた茉咲ちゃんが、立ち上がる。
そして、私の前に出た。
「あたしには意味が理解できた。木代理さまであっても、かなめのことは渡せない。友達だから」
「茉咲ちゃん。私だってかなめちゃんと友達のつもりだよ?」
「それでもあんたは木代理さまなんだ。立場が、違う。あんたの一声でかなめの全てが変わってしまうんだ」
「木代理」
次に立ち上がったのは遥生ちゃんだった。
「前の木代理は、本当は木代理じゃなかったの。だから、婚姻の日に失踪しちゃった。偽物の木代理だったから。でも、あなたは本当の木代理だからなんでもできる。それこそ、村を滅茶苦茶にしちゃうくらい」
「しずる、戦う?」と遥生はしずるちゃんに向けて小首をかしげた。「戦わないよ」としずるちゃんは返す。
「もしかして、私って歓迎されていないのかな」
おばあちゃん、梓央莉、茉咲ちゃん、しずるちゃん、遥生ちゃん。
それぞれに向かって目配せする。
みんなの私を見る目が畏怖に支配されているのが見て取れた。
「そっか、ごめん。私、行くね」
水を吸って重たくなった着物を何枚か脱ぎ捨てて。
私は会館の外へと走り出した。
とはいえ、行く場所に当てなんてなく、私はご神木の元に戻ってきてしまったのだった。
また眠ってしまえば、この世界から私はいなくなれるのだろうか。
そうすれば、みんなの怖がるようなことも無くなる?
「そもそも、私はなんでここにいたんだろう」
私がいたねぐらは水たまりになってしまっていて使えそうにはなかった。
「木代理さま?」
その声に振り向くと、そこにいたのは、かなめちゃんだった。
「戻ってきたんだ」
「ええ、みなさんの姿が見つからなかったので……」
「それなら、みんな会館にいるよ。今もいるかどうかわからないけれど……」
「おひとり、なんですね」
かなめちゃんはそっと私の隣に立ち、ハンカチを差し出してくれた。
「濡れていらっしゃるので。お風邪をひいたら困りますよ」
「……かなめちゃん、私、神様なんだよ。風邪って引くのかな」
「神様でもお風邪は引くことはあると思いますよ」
かなめちゃんはくすくすと笑った。
私はかなめちゃんからハンカチを受け取って、髪の毛についた水分をペタペタと取っていく。
「ね、かなめちゃんは、私が怖くないの?」
「怖い、ですか?」
「神様、怖くない? 天気を操って、村を災害に遭わせることだってできるんだよ」
「それは、怖いですね……」
私はかなめちゃんの顔を覗き込む。
かなめちゃんは「わっ」と退いて、顔を真っ赤にした。
「怖がっていないじゃない……」
「だって、木代理さまは、そんなに怖い方じゃないですから」
「どうしてそう思うの?」
「それは……私の直感がそう告げています」
かなめちゃんは、ブイサインにした両手をこめかみにあててポーズを取る。
それもむず痒そうな顔をした後、すぐに止めて両手で顔を仰いだ。
「遥生ちゃんの真似?」
「そうです。恥ずかしい」
そう言ってかなめちゃんは顔を真っ赤にした。
私は、なんだかきゅんときてしまって、かなめちゃんの頬に口づけした。
「きゃっ」
小さく悲鳴をあげるかなめちゃん。かなめちゃんは私が口づけしたところを小さな指先で押さえた。
「その、いけません! こういうのは、好意を抱いた方にだけするものですよ」
「私は、かなめちゃん、好きだよ」
「その、そうじゃなくて……雛として見初めた方にだけにしてくださいっ」
「じゃあ、責任取って。かなめちゃん、私の雛になる?」
「お言葉ですが! お言葉ですが……」
その言葉がどんどんと小さくなっていって、わなわなと震えるかなめちゃん。
「こういう始まりは、あまりよろしくないかと」
ついにかなめちゃんは両手で顔を覆った。
「ごめん、ごめん……いじわるし過ぎた」
そう言った途端、急に寂しくなってきた。
私はみんなに拒絶されたことを思い出して、かなめちゃんから距離を取る。
「木代理さま、どうなさったのですか?」
かなめちゃんが顔を上げる。
「私の居場所って、どこにあるんだろう」
この村で居場所を獲得しようと頑張った結果、ただの村人として持つことは許されない神の力を手にしてしまった。
だから私は厄介者。伝承でいえば、私こそが除け者にされる『鬼』なんだ。
「……梓央莉に代わってもらおうかな」
「木代理さま、出ていくおつもりなんですか」
「木代理さまが出ていくのって村の決まり的には、許される? 許されない?」
許されなかったから前の木代理の失踪は大問題になったんだよなぁ、と考え肩を落とす。
儀式は失敗したから、木代理じゃない。それなら許されるという言い訳は?
でも、十六夜のおばあちゃんには認められちゃったんだよなぁ。
にっちもさっちもいかない状況に私はどうしようもなくなってしまった。
「ねえ、かなめちゃん。私、いた方がいい? いない方がいい?」
「……それを決めるのは、木代理さま自身です。役割のある木代理さまじゃなくて、ただ一人の神様や人間として、決めるのは木代理さまです」
「ずるいよ、かなめちゃん」
自分はうまく決められなかったくせに……と、思いつつも彼女の涙ながらの自白を思い出す。
少女漫画のような恋がしたかった、というかなめちゃん。
私はその初心な表情に、この子を守りたいと思ったんだった。
「…………少女漫画が読みたい」
「少女漫画ですか?」
かなめちゃんはその言葉を予想してなかったようで、食い気味に同じ言葉を繰り返した。
「かなめちゃんの好きなものを読んで、かなめちゃんの傍にいたい」
「え、そ、それは……その言葉はどう受け止めれば……」
「私の居場所、かなめちゃんの傍にしかないんだ」
「待ってください、それ以上は愛の言葉に聞こえてしまいます……!」
耳を塞ぎ顔を真っ赤にするかなめちゃん。でも、私の思いは止まらなかった。
「朝から晩までかなめちゃんと一緒に居て、夜ごとに語り合うんだー!!」
「木代理さま!」
私が思いのたけを叫んでいると、ぬかるみの中走ってくる足音が聞こえた。
「かなめ! 木代理さまと一緒にいちゃだめだ!」
茉咲ちゃんだった。村の中を走り回っていたのか、息が上がっていた。
「茉咲さん、どうしてですか?」
「その人が正真正銘神様だからだ! あたしたちの手に負える相手じゃないんだよ」
「ですが、茉咲さんは、初めから木代理さまを木代理さまだとご存じだったでしょう?」
「それはあたしたちが、木代理さまを、前の木代理さま並みに甘く見ていたからだ! かなめ、神の国に連れていかれるかもしれないんだぞ!」
「神の国ですか?」
かなめちゃんは素っ頓狂な声で繰り返した。
茉咲ちゃんはかなめちゃんを庇うように私の前に躍り出た。
茉咲ちゃんの目はまだ恐怖に潤んでいたけれど、その目はしっかりと私を見据えていた。
さながらその姿は騎士のようだった。
「茉咲ちゃん、警戒してるところ悪いんだけれど、私には居場所がないんだよね、かなめちゃんの傍以外に」
「はあ? どういうことだよ」
「だって、私を怖がらないの、かなめちゃんくらいなんだもの」
茉咲ちゃんは首だけでかなめちゃんの方を見る。
かなめちゃんは微笑みを作って左右に首を振った。
「そ、それは事情が分かっていないからじゃない? かなめ、この神様って災害級に怖い存在なんだぞ」
「はい」
「選ばれたら最後、どこかの世界に連れていかれるかもしれないんだぞ」
「いえ、木代理さまには居場所がここにしかないそうなので……」
茉咲ちゃんが私をじろりと見る。
その目は恐怖ではなく憐憫に包まれていた。
「木代理さま、意外に結構困っているの?」
「うん。三日過ぎちゃったらどこに泊まろうかなって」
「木代理さまの部屋なら、十六夜のおばあさまが用意してくれると思うけれど……」
「それから少女漫画が読みたい」
「少女漫画ぁ?」
茉咲ちゃんはよく通る大きな声で復唱した。
「あたしの部屋にあるけど」
「嘘、読ませて」
「待て待て待て、何馴染もうとしてるんだっ! あんたは木代理さま、神様なんだから立場が違うだろ!」
「えー、前の木代理さまってどうやって過ごしていたの?」
「それは部屋で大人しく……巫女たちを困らせたり、手が焼けるところはあったけれど」
「それって退屈だからじゃない? だったら、私、木代理さまやめる」
「いやいやいや、そんなわけにはいかないだろっ、あんたは木代理さまなんだから」
「それならさ、名前を付けてよ。新しい名前。木代理さまって呼ばないようにさ」
えぇ……と茉咲ちゃんがドン引きする。会話の応報を聞いていたかなめちゃんも同様のようだった。
「それならお誂え向きな名前がある」
いつの間にか梓央莉がボストンバッグを抱えて、私たちの傍に立っていた。
「有路仁人だ」
「げ」
茉咲ちゃんの顔が引きつる。かなめちゃんも苦笑いだ。
私は意味が分からず尋ねる。
「それってどういう名前なの?」
「木代理を攫った誘拐犯。二度目の木代理はく奪の名誉のある名前だ」
かなめちゃんが貧血を起こして倒れそうになる。慌てて茉咲ちゃんがその体を支えた。
「雛野さまのセンスって……」
茉咲ちゃんが通る声で小さく漏らす。
「じゃあな、仁人」
梓央莉は気にした様子もなく、颯爽と去っていった。
「何しに来たんだろうね?」
「お別れの挨拶だと思いますけれど……」
案外律儀なんだな、と感心するとともに、もうこの村であのイケメンの姿を見ることはないんだなと思うと切なくなる。
「やっぱり、もっと、梓央莉に雛になってほしいって頼むべきだったかなぁ」
神級のイケメンを喪失するのはこの村にとってはもったいないことだったと後悔する。
この村を居場所に決めたのなら尚更だ。
「ちょ、ちょっと待って。木代理さま、好みのタイプは?」
「木代理さまじゃなくて、仁人。みんな大好き」
「マジですか……」
「これで、私も村に馴染めるかな」
呆れた顔の茉咲ちゃんと青い顔のかなめちゃんに連れられて、私はまたお屋敷へと戻ってきた。
「おかえりなさいませ、木代理さま」
玄関を通るなり、両端に並んだ巫女たちにお帰りの挨拶をされる。
それに圧巻されて言葉が出ない。今までの扱いとは大違いだ。
私は回れ右をして屋敷を出た。
外にはまだ茉咲ちゃんとかなめちゃんがいる。
二人は不思議そうな顔をしている。
「ねえ、先代の有路仁人はどこで暮らしていたの?」
「ええと、民宿あさひなさんにお世話になっていたはずです」
「じゃ、私もそこで暮らす! お金だけ申し訳ないけれど立て替えてほしい!」
「えっと、えっと、それは私たちの一存では決められなくて」
「おばあちゃーーーーん!!!」
私がそう叫ぶと、少しだけ時間を置いて、十六夜のおばあちゃんがまだ濡れて乱れたままの髪型で玄関から出てきた。
「木代理さま。な、何か御用でしょうか?」
「今日から、民宿あさひなさんの所でで暮らしたいんだけど、お金がなくって。なんとかならない?」
おばあちゃんは血相を抱えて屋敷の中に戻ると巫女にどこかに電話するように伝えた。
それから間もなく先ほどの巫女が帰ってきて、おばあちゃんの耳元に手を当てて喋った。
おばあちゃんは緊張した面持ちで私を見た。
「民宿あさひなは、木代理さまを歓迎してくださるとのことです」
「おばあちゃん、ありがとう! それから私、有路仁人って名前ね」
「は、はあ」
「カツアゲだ……」
茉咲ちゃんの呟きを、私は聞こえなかったことにした。
「お祭りの時にはちゃんと戻るからさ!」
民宿あさひなに着くと、優しそうな雰囲気の年配のご夫婦が私を待ってくれていた。
「お待ちしておりました、木代理さま」
「私のことは木代理さまじゃなくて、有路仁人って呼んでほしい」
ご夫婦は顔を見合わせて、「その名前は……」と口に出した。
「木代理さまで、有路仁人くん、か」
夫婦は心底可笑しそうに笑った。
「彼に申し訳ないから、あだ名で呼んでもいいかな」
「あだ名? いいね、それ」
「きみちゃんで、どうかしら」
「素敵! よろしくね。あさひなのおじさん、おばさん」
そうして私は、木代理さまでありながらも、有路仁人として村の中で生活するようになったのだった。